運命の来訪者




 蒼く澄み切った大海原を眺める空は、海が降参するぐらい見事な快晴だった。
 雲一つ無く晴れ渡った青空を埋め尽くすように、たくさんの海鳥たちが群れている。
 この辺りの海域では、魚が青い腹をきらめかせてときおりジャンプするのだ。魚が水しぶきを上げながら渡っていくのを海鳥たちが空から目を光らせてじっと待っている。


 いつも通りの平和な海を一隻の船が、さざ波を作りながら通り過ぎていった。




 そこは何もない島だった。
 観光地になるような名所もなく、バカンスになるほどムードもない、そんな数ある群島の中の一つだった。
 ゆっくりと昇っていく太陽に目を細めながら、彼女は小舟で島の周りに生息している青い腹をした魚を捕っていた。
 先の尖った石を木の先につけただけの簡単な槍を勢いよく水に滑り込ませる。水しぶきとともに二匹の魚が、槍の穂先に貫かれて海から上がった。

 日の光が海に反射をしてキラキラ輝いている。
 この辺りの海域は、昔から人が少ないせいか自然がとても豊かだ。海も汚されることなく、魚たちにとっては絶好の住みかとなっている。

「さすがだな、ユーリ」
 彼女――ユーリの隣で同じようなボロボロの小舟に乗った少年は、白い歯を見せて笑った。
 少年は今にも沈みそうな小舟を器用に操って、次の獲物に狙いをつける。
「逃がしたら、今日の朝ご飯はロイが取りにいくのよ」
 ユーリの声より一歩遅れて、水しぶきが上がった。穂先にはしっかりと魚が突き刺さっている。
「ちぇっ、一匹だけか」
「じゃあ私の勝ちね」
「それはずるいよ、ユーリ。ちゃんと僕だって捕まえたんだから、今日は引き分けだよ」
 ロイの反論に、悪戯っぽくユーリは舌を突き出した。
「それなら、島まで一泳ぎしてどっちが早いかで勝負だ」
「ロイこそずるいわっ。そんなの私が負けるに決まってるじゃない」
 力勝負こそはユーリの方が強いものの、泳ぎだけは島でロイに勝てる者はいないのだ。
 ユーリはうらめしそうにロイを睨んだ。

 幼いときは、身長も泳ぎも全てユーリの方が上だった。生まれたときから一緒にいるような二人は、一歳の年の差など関係なく、何をするにしてもいつも共に行動していた。姉弟よりは遠く、親友よりは親密な関係。自他ともに認める最高のコンビなのだ。
 けれどロイが十四歳になったときくらいから、手足が急に伸び始め、あっという間にユーリの身長を抜いてしまった。それに伴い、泳ぎもロイの方が断然早くなったのだ。
「もちろんハンディやるって。十秒数えてから僕は泳ぐから」
「……わかったわ」
 一瞬迷った顔をしたが、ユーリはすぐにやる気を瞳に灯らせた。もともと負けず嫌いな性格なのだ。


 ロイの合図でユーリは魚の腹より青い海に、かすかに水しぶきを立てて飛び込んだ。
 島に向かって一心に泳いでいくユーリを、ロイは眩しそうに見つめた。
 ユーリの泳ぐ姿は、人魚よりも優雅でそれでいて力強い。クロールで泳いでいたユーリは、途中で平泳ぎに変えた。体力を考えてのことだろう。
 小舟から島に行き、また小舟まで戻ってくるのはいつもより倍の体力を使う。

 十秒をきっかり数えてから、ロイは海に飛び込んだ。両手で水をかき分け、みるみるユーリに追いついていく。
 柔らかな日差しが、二人の飛ばす雫を鮮やかに彩っていた。




 ユスリカ島。
 船の碇の形に似ているということで、この名前がついたという。右手には国土が豊かなことで知られているルンドー王国、左手には貿易都市として栄えているレティア都市があり、ユスリカ島は昔から大陸と大陸とを横断する際の休憩地点とされてきた。
 どこの国の支配も受けないかわりに、流行病がおこって何人死のうともどこからも援助されることのない島。

 自然の宝庫を物語るように、集落のすぐ後ろには小高い丘があり、そこには噛むとコリコリ音のする木の実や、掴んだだけで果汁が溢れ出てくる果実やらが、どっさりとなっていた。
 丘の向こうにある原生林は普段からほとんど人が入ることがないため、青々とした葉がびっしりと生い茂り、人を怖れることのない動物たちが自由気ままに生きている。
 ユスリカ島は、汚されていない大地だった。




 大海原を走っていた船は、碇の形の島に向かっていた。
「次こそ当たりだといいですね」
 どこかのんびりした口調の男は、望遠鏡で船の行き先を眺めながら言った。左手には年月を経て茶色く薄汚れた一枚の紙を手にしている。望遠鏡から目を離すと、マストのそばに立っていた男に望遠鏡をぽんっと投げた。
 目の上に傷のある男は、軽く回転しながら投げられた望遠鏡をぱしっという小気味良い音をたてて受け取った。
「ああ。そろそろこの辺の群島を回るのも飽きてきたしな。頃合い、だな」
 男は片手で望遠鏡を弄びながら、遠くの方に見えてきた碇に視線を据えた。



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