石を守る者




「やった、私の勝ちぃ!」
 ユーリは息を切らしながら、海面に顔を覗かせた。
 ボロボロの小舟が二隻、所在なさそうに海の上を漂っている。ユーリはそこまでクロールで泳ぎ切ると、水を滴らせながら小舟にはい上がった。

 隣の小舟には、さっきロイが獲った魚が息絶えていた。そんな光景は見慣れているはずなのに、ユーリはなぜかその腹の青い魚が不気味に見えた。
 思わず身震いをしてから、ユーリは照らし続ける太陽で体を乾かし始めた。
 ロイが戻ってくる気配はない。
「ロイ、遅いな。潮の流れもいつも通りなのに」
 ユーリはそう呟きながら、暇そうに島の方に視線を流した。


 島の隣に見慣れない船が停泊している。ユーリのいる場所からは、船の一部が波間に揺れてちらちらと見えるだけだが、見たことのない船だということはわかった。
 この辺を通る船はごくわずかに限られているのだ。レティア都市からの貿易船が週に一度、ルンドー王国にたくさんの貿易品を運ぶためにユスリカ島に一日停泊してから出発する。
 けれどレティアの貿易船は一昨日来たばかりだ。

 ユーリは小舟から身を乗り出して、島の方を凝視した。
 胸の中をどこか不穏な風が、微かな音で吹いていく。



 ひときわ大きい波がユーリのいる小舟を揺さぶった。
 バランスを取りながら島を見たユーリの目に、先ほどの船がはっきりと飛び込んできた。小さかったけれど、確かに船の先端に砲台がついていた。
 島で何かが起きている、そう直感したユーリは必死で小舟を漕ぎ始めた。
 焦っているせいで、いつものようにうまく波に乗れない。それどころか逆に波に押されて、どんどん沖の方に流されてしまっている。
 ユーリは小舟から飛びおりると、今きた海路を急いで引き返した。




 ロイは島の中心部を走っていた。
 手には仲間から預かった石をしっかりと握りしめて、何度も転びそうになりながら島の裏手へと向かっていた。

 ユーリとの競争でイルカのようにすいすい泳いでいたロイは、後少しでユーリに追いつくというところで進路を変えた。
 息継ぎをしようと海面から顔を出した瞬間に、島に停まっていた船から銃を持った男が降りてくるのが視界に入ったのだ。
 慌てて島に向かって泳ぎだしたロイに、今度は小舟に、とUターンをして躍起になっているユーリは気づかなかったようだ。
 ロイはそのことに安心した。もし島で何かあっても、ユーリが巻き込まれずに済むからだ。
 浜辺の端にたどり着いたロイは、船から見えないように岩場を通って集落まで戻った。
 浜辺から集落までは、ロイとユーリだけの秘密の近道を使えば、普通に行くより倍は早く着くことができるのだ。




 ロイが集落に辿り着いたときには、もう遅かった。
 目の前には、島の人たちが無惨な姿で転がっていた。衣服は暴れたときに破れたのだろう有様で、脳天に銃弾を一発くらって死んだ者、酷い者はずたずたに切り裂かれて死んでいた。開ききった目は血走り、無念さをロイに投げかけてくるようだった。

 ロイは血が出るほどきつく唇を噛んだ。握りしめた手は、爪が食い込んで血が滲んでいる。
 それでも辺り一面に広がる血の海とは、比べるべくもなかった。生臭いにおいが、潮風に混じって西の方に流れていく。
 目の前で死んでいる者たちは、全て「石を守る者」だった。

「石を守る者」――ユスリカ島では、昔から祭壇に祀られている石があった。海よりも深い群青をたたえた石は、古の時代に海の女神が流した涙と言われていた。
 価値をつけることすらできないその石は、汚されていないユスリカの地に納められ、それを守るのはユスリカ島の選ばれた男子。
 それ故にこの石の存在を知るのは、海の女神の洗礼を受けて選ばれた男子だけなのだ。


「ロ、ロイか……?」
 血の海に横たわっていた一人が、焦点の定まらない目でロイを見つめた。
「イズチか! しっかりしろっ、いま助けてやる!」
 ロイはイズチに駆け寄った。血の海から抱き上げたイズチは、もう虫の息だった。
「これを。石を守れ……」
 イズチはそう言うと、手に持っていた石をロイに差し出した。
 空中を彷徨う手から石を受け取る。血に染まった石は、不気味なほど神秘的で綺麗な光を放っていた。
「わかった、これは絶対に僕が守る」
 ロイはイズチの目をしっかり見て、最期の願いを聞き届けた。ロイもまたイズチと同じ「石を守る者」、選ばれた男子なのだ。


 ふいに背後でガサリと葉の擦れる音がした。ロイははじかれたように振り返り、咄嗟に身構える。けれど周りには誰もいない。
 気が抜けた瞬間、どっと汗が噴き出した。けれど誰かに見られているような嫌な感じは消えない。嫌な汗が背中を伝っていく。
 ここに居てはいけない、そう思ったロイは来るときに使った秘密の近道に向かって再び走り出した。



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