奪われたモノ




 浜辺に辿り着いたユーリは、潮風に混じって流れてくる血の臭いを嗅ぎ取った。それも大量の血の臭いだ。浜に立つ足が思わず竦んだ。
 そのとき集落の方で乾いた音が一発響いた。ツンとする火薬の匂いが微かに風に混じっている。

 ユーリはその音で我に返ったように、集落への近道に走り出した。早く向かおうと思えば思うほど、足がもつれる。集落への近道は、浜辺の端にある岩場、その奥にある林を抜けた先から繋がっている。

 ユーリが林の前に来たとき、集落の方からこちらに向かってくる人影が見えた。
 この道を知っているのは、ロイとユーリ、そしてロイの友達のイズチだけのはずだ。
 ユーリがいつでも逃げられる体勢を整えながら、林に目を凝らすと、
「ユーリ! 逃げろっ!」
 ロイの叫び声にも似た声が、木々の間を走り抜けた。それは普段のロイからは考えられないような低くて掠れた声だった。

 その瞬間、ユーリの後ろから一筋の閃光が走り、再び乾いた音が空気を震わすように響いた。
 走るロイの体がぐらりと右に傾いだ。全てがゆっくりだった。一秒が一分に変わってしまったような時の流れが、ユーリの体を支配していく。
 苦痛に顔を歪めるロイの視線が宙をさまよう。ロイは勢いを殺せず、よろけるように何歩か地面を蹴った。空中を掴むような腕の動作。ロイの体が前のめりになり、そのまま音もなく草の上に倒れ込んだ。
「ローイッ!」
 ユーリは声に鳴らない声をあげて、震える足でロイに駆け寄った。
「ユーリ……、これを持って逃げろ」
 喘ぐように話すロイにユーリは何度も頷きながら、石を受け取った。見たこともない青い石だ。

「おいおい、それはないだろ。せっかくこんなとこまで来たってのに、手ぶらで帰ったら海賊の名が廃るぜ」
 深く低い声に、ユーリはビクッと肩を震わせた。
 いつの間に近づいたのか、ユーリの後ろに男が立っていた。右手に剣。左手には細く煙が立ち上る銃。優に百八十センチはあるだろうその男は、ユーリに尖った剣の切っ先を突きつけた。剣がユーリの鼻先できらりと危険な色を放つ。

「さあ、その石をこっちに渡せ。まだ死にたくないだろ」
 ユーリはロイを背に庇うようにしながら叫んだ。
「誰が渡すもんかっ。よくもロイを……!」
「ユーリ、渡せ……」
 ロイが掠れた声で言った。手で押さえている胸の部分から、どくどくと真っ赤な血が流れている。ロイが苦しそうに咳き込んだ。
「でも……」
 ユーリが背後に庇ったロイの方を見ると、もう一人の男がユーリに銃の照準を合わせていた。

「渡せばおまえは助けてやるよ。女を殺すのは趣味じゃないんでね」
 ユーリは前に立つ男をきつく睨むと、悔しそうに石を男の前に放った。
 目の上に傷のある男は、青い石が地面に落ちる寸前にキャッチした。しゃがみ込んでいる体勢にもかかわらず、片手は相変わらずユーリに剣を向けている。
「どうですか、本物でしょうかね?」
 後ろで銃を構えている男が言った。
「ああ、間違いなく本物だな。やっと見つけたか。それにしてもこんな物のために……」
 そう言うと、男はユーリたちに一瞥した。男の目が一瞬だけ悲しそうに濁った。
 引き上げるか、と呟いて剣を納めると、海賊たちは引き上げていった。




 その場に残されたユーリは、必死の思いでロイに呼びかけていた。
「ロイ、しっかりして! お願いだから死なないでっ」
 ユーリはぐにゃりとして力のないロイの体にすがりついた。胸の辺りに生暖かい液体がじゅくじゅくと染みてくる。
「頼みが……ある、んだ」
 ロイは絶え絶えのか細い声で、喋り始めた。




「大丈夫ですか? 顔色が……」
 船に戻った男たちは、それぞれに武器の手入れをしていた。銃に弾を込めていた者は、隣にきた男――この船のキャプテンであるジョン・ルードの顔を見ると、驚いたように尋ねた。
「ああ、平気だ」
 ルードは素っ気なく言い放つと、どっかりと胡座をかきながら血で汚れた剣を専用の布で磨き始めた。布が血を吸い込んで、朱に染まっていく。
「それにしても随分と抵抗されましたね。その石にはそんなに価値があるんですか?」
「さあな。俺の知ったことじゃねぇ」
 苦々しげに言うと、ルードは軽く石を宙に放った。青い石が太陽の光を吸い込むように、その色を増していく。

「クレイ、そろそろ出発するぞ。この島は居心地が悪くてかなわん」
「そうですね」
 クレイと呼ばれた男は銃をしまうとおもむろに立ち上がり、クルーたちに出発を告げに行った。その後ろ姿を見送りながら、ルードは深いため息をついた。
 剣に着いた血がいくら拭っても落ちないような気がしてくる。ルードは乱暴に剣を鞘にしまった。



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