無謀な挑戦




 とじていた帆が勢いよく広がり、海底に下ろしていた碇を引き上げる鈍い音が船を振動させた。大海原を駆け抜ける海賊船としては、なかなか大きい方だ。
 帆にドクロを描くような時代はとうの昔に終わりを告げ、今では帆は海賊船には到底見えない真っ白なものを使っている。

 そちらの方が何かと便利なのだ。食料を調達しようにも、大きな港は必ず海上兵たちが見張っているので、海賊だとわかれば砲撃をされないまでも上陸は不可能となる。
 ルードの海賊船も見た目は普通の貿易船と何ら変わらない。ただ、砲台があることを除いては。

 船が陸をゆっくりと離れていく。ルードは船長室には行かずに、デッキから島を眺めていた。島の奥の方から、薄黒い煙が細く長く立ち上ってゆらゆらと揺れていた。
「あの島が気になりますか」
 質問しているというよりは、独り言のようにクレイが言った。
「音もなく近づくなよ、相変わらずだな。気になってなんかいないさ。ただ……必死でこの石を守ろうとしてたあいつらがな……。なんか後味悪ぃんだよ」
 無理して苦笑をつくるルードに、クレイは、
「ルードらしいな、そういうとこ。変わってないのは、お互い様ですよ」
 茶化すように言った。



「な、なんだありゃ!」
 同じくデッキにいたクルーが、素っ頓狂な声をあげた。
 ルードたちも思わずクルーの視線を追った。ユスリカ島から小舟がこちらに向かって突っ込んでくる。クジラと小魚のような大きさの違いを気にすることなく、その小舟は一直線にルードたちの船を追っていた。
 ボロボロの小舟を操縦ならぬ、漕いでいるのはユスリカ島で最後まで諦めなかった少女だった。

 ルードの脳裏に、あの時の差し貫くような視線で睨んできた少女の悔しそうな顔がよぎった。剣を向けているのに、一向にたじろがない少女に一種の共感めいたものを感じたのだ。
「おい、あのガキを引き上げろっ」
 隣でクレイが首を振りながらため息をつくのを聞きながら、ルードはクルーに命じた。



「で、何しに来たんだ?」
 ルードは両手を後ろで縛られて座らせられているユーリに、余裕の表情で訊いた。
「決まってるでしょ! ロイの仇を討って、石を取り返す」
「その状態で、ですか。それはなかなか素晴らしい作戦ですね、お嬢さん」
 ルードの横で楽しそうにクレイが笑っている。

 クルーがユーリの装備品をくまなくチェックしていく。クルーの手がユーリの腰に差してあった小さな剣を抜き取った。
「こいつ、こんなもの持ってるぜ」
「どれどれ、俺が見てみましょう」
 クレイはクルーから剣を受け取ると、じっくりと剣を眺め始めた。ひっくり返したり、刃の部分に指を当ててみたりしながら、クレイは言った。
「これはなかなかの代物ですよ。彫金の部分も凝ってるし、結構な値がつくと思いますね」
 ユーリは悔しそうに下からクレイを見上げた。下唇を噛みしめている。
「ははっ、威勢がいいじゃねぇか。これで俺を殺るつもりだったってわけか」
 ルードは品定めをするようにユーリをじろじろと見た。


 気丈そうな瞳には今にもルードを射殺しそうな危険な光りが満ちており、後ろでは縛られた縄をなんとか解こうと、さっきから気づかれないように微かに動かしている。着ている物こそは飾りっ気のない破れかけた布の継ぎ接ぎだが、それなりの格好をすれば、そこら辺の女も目じゃないかもしれない。
 なにより意志の強そうな顔立ちが、少女を魅力的にみせていた。
 悪くない、ルードはそう思った。

「いいぜ、俺を殺しても」
 ルードの発言に、ユーリは怪訝そうに眉をしかめた。
 爆弾発言をするルードの横で、クレイは黙って事の成り行きを見守っている。
「意味がわからねぇって顔してるな。まあ、そりゃそうだろう。おい、縄を解いてやれ」
 ルードに顎で命令され、そばに居たクルーが渋々といった感じでユーリの縄を解いた。
 クレイが、ユーリの足下に先ほどの剣を滑らせた。

 ユーリは不審きわまりない顔で、足下まで滑ってきた剣を見つめている。
「……何のつもりなの?」
「別にそのままだぜ。おまえはその剣を拾って、俺を斬ればいいんだ」
 瞬間、ユーリの瞳に憎しみが灯った。
 クルーたちが止める間もなく、ユーリは一足飛びでルードの喉元を剣で貫こうとした。
 が、吹っ飛んだのはユーリの方だった。

 ユーリの剣が喉を貫く寸前に、ルードは行動に出たのだ。鞘から目にも留まらぬ速さで剣を抜くと、その場で剣の向きをくるりと一回転させ、柄の部分でユーリの鳩尾を打ったのだ。
 もんどり打ってひっくり返ったユーリは、苦しそうに咳き込んでいる。
「俺は殺してもいいとは言ったが、抵抗しないとは言ってないぜ」
 鼻でふふんっと笑うルードを、ユーリが恨めしそうに見上げた。片手で鳩尾を押さえながら、もう一方の手で剣を握りしめる。
「まだ来るか? 俺は別にいいぜ、何度でもかかってきな」
 ルードの後ろでクレイが呟いた。
「……ルードも人が悪い」




 それからユーリとルードの戦いは、クルーたちが見守る中、小一時間続いた。
「あの女、化け物か。キャプテンに敵うわけねぇのに」
「よく死なねぇよな。あんだけ食らえば、今頃逝っちまっても不思議じゃねぇ」
 クルーたちの視線がユーリへと注がれる。
 ユーリは何度打たれようと、何回でもまたルードに向かっていった。そしてその度に鳩尾に一発入れられて、デッキの端まで吹っ飛ぶ。
 ユーリは片ひじをついて起きあがった。元々ボロボロだった服がすり切れて、一部の肌が露出している。
 起きあがった拍子に激痛を感じて、ユーリはその場に胃の内容物を嘔吐した。
 そしてユーリはそのまま意識を手放した。
「クレイ、介抱してやれ」
 ルードが剣をしまいながら、クレイに言った。
 クレイは無言で頷き、ボロ雑巾のようになったユーリを担いで船室の方に連れて行った。




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