一つの選択肢




 部屋を出たクレイは、ルードの元に向かった。ルードはデッキで縁にもたれかかるようにして海の向こうを眺めていたが、クレイが近づいてきたのに気づくと上機嫌で話しかけてきた。
「今日はいい風が吹いてるぜ。これなら思ったより早く着きそうだな」
「到着が早まるのは結構ですけど、本気であのお嬢さんを連れていく気ですか?」
 クレイは微かに困惑した口調で訊いてくる。ルードはクレイの方に向き直ると、張りのある声で言った。
「ああ」

 船の上を風が滑るように吹いていく。潮の匂いをたっぷりと含んだ湿った風だ。一日中デッキに居たら夕方には腕がざらざらになりそうだ。
「海賊船に女が乗っているなんて、聞いたことありませんけどね。いくら男勝りでも海の上では」
「おい、クレイ。この船のキャプテンは俺だぜ。その俺が保証する、あいつはそこらの海の男よりよっぽど度胸がある」
「あなたも随分見込まれたものですね」
 クレイはそう言うと、背後から忍び寄ってきたユーリの方に振り返った。
 ぎくっとしたのはユーリの方である。気配は完璧に殺してあったはずだ。それなのにまるで足音をズンズンさせて歩いてきたみたいに、いとも簡単に気づかれてしまった。
 内心舌打ちをしたい気分だったが、ユーリは何でもないというふうに答えてみせた。
「あなたにそんなことを言われても、ちっとも嬉しくないわ。それよりこの服は何! こんな海賊みたいな服着せて」
「お気に召しませんでしたか? 生憎ここは海賊船の上。そういう服しか置いてないものでね。どうしても嫌だと言うなら、全て脱いでしまえばいい」
 ぐっと言葉に詰まるユーリ。ルードが愉快そうに大声で笑った。
「そりゃあいいな。さぞ良い眺めだろう」
 ユーリは顔を真っ赤にして怒った。からかわれているというよりは、バカにされている。
 まったく、なんて奴らだ。ここが海の上でなければとっくに全滅させてやるのに。

「どうだ、クレイ。なかなかのタマじゃねぇか」
 ルードは、くいっと顎でユーリの方を促しながら言った。
 ふいにを同意を求められたクレイは困ったように笑うと、澄まし顔でさらりと言った。
「こういうのを世間では、跳ねっ返りというんでしょう」
 さらにユーリの怒りを買うことになった。
「まあ落ち着け。いくら暴れたってここは海の上だ。しかもおまえじゃ俺一人倒せやしない。言っておくがクレイだって弱くねぇ。まあ俺には敵わないけどな」
 自信たっぷりに言い切るルードに、クレイは腕を組んで静観を決め込んでいる。普通に立っているだけだと、まるで海賊には見えない。どこかの国の王子だと言われたら、信じてしまうだろう。

 ユーリは腰にさした剣に手をかけると、船縁を背もたれ代わりにして悠々と構えているルードに言った。
「だから? だから何よ。まだ一回しかやってないじゃない。次は私が勝つかもしれないわ」
 そう言っていきり立つユーリに、それまで黙っていたクレイが口を開いた。
「まず無理でしょうね。あなたがそこからルードに切り込んだとします。だけどそれだけの距離があればまず間違いなくルードに跳ね返される。それでも懲りずにまた向かおうとする。そのときにはもう私の銃口が火を吹いてますよ」
 順序立てて理論的に説明されてしまい、ユーリは悔しそうに次の言葉を飲み込んだ。

 ルードは船縁から勢いをつけて上体を起こすと、恨めしそうにクレイを睨み付けているユーリの頭を数回ぽんぽんと叩いた。
 一瞬、ユーリは自分が何をされたのか分からず呆気にとられた。ぽかんと口を開いたまま、首だけ捻ってルードを見つめる。
「そう俺たちに噛みつくなよ。クレイの言うとおり、今のおまえじゃ万に一つも勝ち目はねぇ。だが、いずれはわからん。だから」
 ルードはそこでいったん言葉を切った。ユーリの後ろではクレイが大きくため息をつくと、やれやれといった感じに首を左右に振った。
 まるで言いにくいことを言い出そうとするように、頭の後ろを掻きながらルードは言った。
「俺たちと一緒にこい」

 ユーリの頭にこの言葉が届くまでかなりの時間がかかった。
 船のそばを飛んでいる鳥たちが、優に二、三匹の魚を捕まえてしまうぐらい時間がかかった。海鳥たちの甲高い鳴き声が、ユーリの耳を右から左へと素通りしていく。頭が混乱していた。いま、なんと言ったのだ?
 私にロイを殺した奴らの仲間になれと言うのか。平気な顔をして私の前でロイを殺した男たちと同じ船に乗って旅をしろと? ユーリは憤慨して怒鳴った。
「っ冗談でしょ! 何を言うかと思えば。暑さで頭がやられたんじゃないの。あなたたちを殺しこそすれ、仲間になるなんて……。それなら死んだ方がマシだわっ」
「……そうか。なら今すぐそこから落ちろ」
 ルードが落ち着きを払った声で海を指さした。
 ユーリは思わずたじろいだ。まさかここから落ちろと言われるなんて、思ってもみなかったのだ。無意識に背後のクレイを見やると、彼は我関せずといったふうに視線を逸らした。

「……冗談でしょう?」
 ユーリは訝しみながら声を落として尋ねた。
「いや、本気だぜ。俺たちと一緒に来るのが嫌なら、ここから降りるしかないねぇだろ」
 ルードは相変わらず落ち着いた声で言い放った。その目は本気としか思えなかった。
 ユーリは一歩進んで、船縁から下を覗き込んでみた。
 真っ青に染まった海。それはユスリカ島の周りより少し濃い青だった。船が波を飲み込むようにざっぱざっぱと進んでいる。時折海の中で魚の腹が光ってみえる。どうやら海の上から見るより海中は明るいようだ。慣れ親しんだ海が大きな手を広げて、ユーリを受け止めようとしている。

 ユーリは意を決したように、船縁に手をかけると、一気に海に飛び込んだ。大きな水しぶきが上がり、ユーリの姿が海中へと消える。
「って、おい! 本当に飛び込むやつがあるかっ」
「これはまた活きの良い魚を釣ったものですね。釣られた魚が自力で海に戻るとは」
「悠長に語ってる場合じゃねぇだろ」
 ルードは慌てて編み上げの靴を脱ぎだした。ついで上に着ていた麻のシャツを脱ぎ捨てる。
「ルード、まさか飛び込むつもりですか?」
「そのまさかだぜ」
 ルードはそう言うと、ユーリの消えた海に飛び込んだ。さっきよりも大きな水しぶきが上がる。クレイはしぶきを浴びながら、周りに集まってきたクルーに聞こえないぐらい小さな声で呟いた。
「まったく、厄介な生き方ですね」




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