知らせの街




 遠くの方に街のようなものが見えてきた。
 大きな建物がちらほらと見えるところから、それなりの港町だということがわかる。
 まだ結構な距離があるというのに、大きな時計塔がはっきりと見えていた。


 ユーリが海賊たちの船に乗った日から、丸一週間が過ぎようとしていた。
 無法者の集まりだと思っていた海賊にも、彼らなりのルールがあることをユーリは知った。
 守らなくてはいけない掟としては、キャプテンの命令は絶対であり、それはすなわちルードが絶対権力を持っていることを表していた。
 その他にも細かいことはたくさんあった。たとえば一番下っ端の者たちが料理番を交代で請け負うこと、洗濯物は自分で洗うこと、ドラッグを持ち込んだ者はキャプテン自らに極刑を執行されること。中でも最大の禁忌はキャプテンの女には絶対に手を出さないこと、だった。
 それは取り決めたわけではないが、海賊の中では暗黙のルールとなっているらしい。

 この一週間の間にユーリは荒くれの男どもの中で、自分の居場所を勝ち取った。
 なんということはなかった。海賊の世界は下克上なのだ。たとえ新参者であろうと、女であろうと強い者が生き残れる。
 ユーリは文句をつけてくるクルー一人一人を倒していった。自然豊かな島で育ったユーリはもともと剣技には長けているのだ。ロイから預かった小さな剣はユーリの手によく馴染み、海賊たちを負かすのに力を貸してくれた。
 その結果クルーたちはユーリの乗船を認めると共に、ユーリをキャプテンの女という認識を持った。
「海賊の世界じゃキャプテンの女は、度胸があって腕っ節の強い女って決まってんだよ。それで美人だったりしたら完璧だな」
 ユーリが負かしたクルーの一人がそう教えてくれた。
 一度そう広まるといくらユーリが訂正して回っても、誰も聞いてくれなかった。


「おい、着いたぜ」
 ルードのよく響く声が聞こえたかと思うと、彼はノックもなしにドアを開け放った。
「ちょっと、勝手に開けないでよ。それに着いたってどこに?」
 ベッドに腰掛けていたユーリは、思わず立ち上がり抗議した。
「テラノ港町だ。ここで燃料と食料を補給して、明後日にまた出発。ずっとこの船の中にいたいってんなら、俺は別にそれでも構わないけどな」
「い、行くわよ。誰がこんな部屋に居たいもんですか」
 ユーリは慌てて立ち上がると、ルードと共にデッキに上がった。

 デッキに立ったユーリは思わず歓声を上げた。
 目の前には見たこともない大きな街が広がっている。街の玄関となっている波止場には、何隻もの船が碇を降ろして並んでいた。小さいのから大きいのまでたくさんあるが、それら全てがユーリの位置からは見下ろす形だった。
 それほどまでにルードの船が、ずば抜けて大きいのだ。
 ルードたちの後に続いて船を降りたユーリは、町のスケールの大きさと人の多さに圧倒された。
 ユスリカ島から一歩も出たことのないユーリにとっては、全てが新鮮だったのだ。

 波止場では、ルードと同業者らしい男たちが積み荷を船に運び入れている。筋骨逞しい男が居たかと思うと、商人風の痩せた男が船から卸された荷を値踏みしていたりする。
「ユーリ、こっちだ。ぼさっとしてると置いてくぜ」
 ルードの声で我に返ったユーリは人をかき分けるようにして追いつくと、
「私がここで逃げないとは限らないわよ?」
 精一杯の憎まれ口をきいた。確かにここは大勢の人で溢れかえっており、一度見失ったら見つけるのは至難の業だろう。
「なーに、そんときゃ俺の情報網を使って、一時間で探してやるよ。が、わざわざ自分ではぐれるなよ迷子のお嬢ちゃん」
 むっとしたユーリをよそに、ルードはどんどん市場の方へと歩いていってしまう。

 道の両脇に所狭しと連なっている出店には、ありとあらゆる物が並べられている。中には商品をユーリの鼻元までつきつけてくる強引な商人もいた。
 けれどルードはそんな商人たちには目もくれない。ただ黙々と市場を抜けていく。
「どこまで行く気なの」
 ユーリは自分を挟むようにして後ろからついてくるクレイに尋ねた。
「もう少しですよ。あなたも覚えておいた方がいい。こういう場所では気を付けることが二つある。一つはスリ。やつらは金になりそうな物なら何でも盗っていきますから。二つ目は、モノを見極める力ですね」
 クレイの言葉が終わったと同時に、ルードが一軒のあばら屋の前で立ち止まった。

 店と店の間に板きれを乗せて入り口に布を垂らしただけのような店構えは、見るからに真っ当な商売をしているようには見えなかった。
「……ここ?」
 ユーリは胡散臭そうに尋ねた。
「言ったろ、モノを見極めることが大切だって。蛇の道は蛇ってことさ」
 なんのためらいもなく店のドアらしきものを開けるルードの後ろを、ユーリも仕方なくついていく。
 店の中は狭くて薄暗く、カビっぽい匂いがした。
 少し奥まったところに、小柄だが油断のない目つきでこちらを睨み付けている男がいた。
「なんのようだ?」
 ルードはごちゃごちゃと乱雑に並べられた商品を避けて男に近づくと、おもむろに懐に手を突っ込み、男の前に中身がぎっしりと入った布袋を置いた。
 男はにやりと笑ってルードを見ると、中身を確認するように布袋の重さを確かめた。男の手の上で金貨の入った布袋が数回弾まされ、不気味なほど静まりかえった店内に金貨のこすれる音が響いた。

「女神の涙の情報が欲しい」
「ふん、いいだろう。後ろのお嬢ちゃんはユスリカの者だな。ということは海じゃない場所の情報か」
「ちょ、ちょっと! どうして私がユスリカの人間だと」
 出身を言い当てられたユーリは、思わずルードの後ろから身を乗り出した。
「なに、簡単なことだ。見る者が見れば、その腰にさしてる物で見抜く」
 ユーリの腰を指さしながら、男は禿げかけたおでこをするすると撫でながら下品な笑い声をあげた。
 ルードはユーリのさしている剣をじっと見つめると言った。
「……なるほどな。ユーリ、その剣はしまっとけ」
「言われなくてもしまうわよ」
「それであんたらが欲しい情報ってのは、石の方か? それとも……」
 男はそこで言葉を切ると目を細めてルードの表情を窺った。まるでルードがどこまで知っているかを見極めているような目つきだった。
 ルードはそんな男の視線をいつもの不遜な笑みで受け流すと、ちらりとユーリの様子を探るように見た。
 ユーリが首を傾げながら、なに、と尋ねようとした瞬間、影のように押し黙っていたクレイが口を開いた。
「石、の情報です」
 きっぱりと断言するクレイに、ユーリは野生の勘とも言える鋭さで何かの匂いを嗅ぎ取った。
「石の他にはどんな情報があるの?」
「たいした情報じゃないでしょう」
 男の代わりにクレイがさっさと答える。
 隠されれば知りたくなる。ユーリはクレイを無視するように、男に詰め寄った。
「なんなの?」
 壁にもたれかかっていたルードが苦笑しながらため息をついた。
「クレイ、どうやらこいつに誤魔化しはきかないようだぜ。あきらめろよ」
「ですが……」
 クレイの反論を押しとどめると、ルードはユーリに向き直った。
「女神の涙にはな……、特別な力があるのさ。俺たちも詳しくは知らないが、確か海の女神の涙には治癒の力が宿っているはずだ」
「治癒の力……」
 ユーリは呟くように言葉を反芻した。自分の島に祀られている石の存在すら知らなかったというのに、その言葉は妙に懐かしいような馴染み深さがあった。
「まあ宿っていると言っても、それ自体にはなんの力もない。石だけでは治癒の力は発揮されませんよ」
「にしてもユスリカ島の人間が、石の力を知らなかったとは驚きだな。こりゃユスリカの石が奪われるのは時間の問題ってことか」
 男が小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、ユーリを見て呟いた。
 男の言葉にクレイが真面目な顔で頷いている。
「ユスリカは穢れなき島よ。石の力を悪用しようとするあなたたちと違ってね!」
 ユーリは思わずそう言い返した。ユスリカ島がけなされるのは許せなかった。
「そう熱くなるなよ」
 ルードになだめられても、ユーリの怒りは収まらない。
「こんなやつに情報をもらうなんて冗談じゃないわっ。私は自分の足で歩いて探すから」
 そう断言するとユーリはルードが止めるのも聞かずに、店の外へと飛び出して行った。
「まったく……。これだから小娘というのは困るんですよね」
 クレイがじろりとルードを睨む。だから止めておけと言ったのに、と言わんばかりだ。
「まさに鉄砲玉だな」
 ルードも呆れたように肩をすくめて見せると、
「クレイ、ここは頼んだ。その男からたっぷりと情報をもらっといてくれ」
 仕方なさそうにしながらも、どこか楽しそうな様子で店を出て行った。


「おい、待てよ」
 店を出てほんの少し歩いたところでユーリはルードに追いつかれてしまった。
 けれどユーリは足を止めない。どころか更にスピードを上げて歩き出す。
 人混みに紛れてこのままわからなくなってしまえばいいのに、とユーリは思った。
「待てって。……あれぐらいで拗ねてたら身が持たないぜ」
 その言葉にユーリはぴたりと歩みを止めると、勢いよく振り返った。
 まだ大分距離があると思っていたのに、どうやらルードは真後ろにいたらしく、振り返ったユーリの真ん前に立っていた。
「拗ねる? 私が拗ねてるっていうの? ガキ扱いしないで」
 ユーリはルードを見上げながら、ぴしゃりと言葉を叩きつけるように言った。
「ストップ。俺にあたってもしょうがないだろ。それより情報を集めるんだろ。さあ、どっから始めるつもりだ」
「そ、それは……」
 ルードに突っ込まれ、ユーリは言葉に窮した。威勢良く店を出たまでは良かったのだが、生まれて一度もユスリカ島を出たことのなかったユーリは、情報の集め方など全く知らなかったのだ。
「まさか情報が道端に落ちてるとでも思ったのか?」
 からかい口調で言うルード。そして何を思ったか、ルードは懐からおもむろに女神の涙を取り出した。
「これをおまえに預けてやる」
 ユーリはあまりの咄嗟の出来事に、呆然と石を見つめた。色々な疑問が一気に溢れだしてきて、どれを聞けばいいのかわからない。
「ど、どういうこと……?」
 やっとのことでユーリが言葉を押し出すと、ルードは石をぶらぶらさせながら言った。
「ただし、預ける、だけだ。この町で石を守り抜けないようなら、俺たちと行動する権利はねぇ。おとなしく島に戻ることだな」
 ユーリは顔を真っ赤にしながら、ルードから石をひったくった。
「良い度胸じゃない。私に石を預けようなんて」
 ユーリはそう言うと、石を愛おしそうに見つめてから懐にしまった。そして道行く人に片っ端から話しかけ始めた。
 後ろではルードが楽しそうに見物している。
「試させてもらうぜ、ユーリ」




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